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2009年10月31日 (土)

10月が終わります

こんばんは。10月31日になりました。
あと2ヶ月で今年も終わり?なんという速さ!

10月1日、未来の体重は12kgジャスト
10月31日本日は、11.7kgでした。大きな変動がなくてよかったとホッとしています。

今月はカリウム値の上昇、下痢、食欲不振の日が多発という状態で、決して良くはありません。
9月がとても快調だったせいか、急に老化が進んだようにも見えます。

「医療相談だワン!」過去記事の中に、慢性腎不全と診断されたら、そのワンちゃんの寿命が近いということだと獣医師さんが書いていらっしゃいました。
このシンプルな説明を読んだとき、すとん・・・とお腹に落ちて納得しました。
今後の未来ちゃんの生活について考えるいいきっかけでした。

「10月」は私にとって、「生と死」を何度も考え、過去を振り返ってしまう月です。
10月某日は、妹の命日、そして愛猫の命日でした。

両親と妹、私の4人家族でした。
1番最初に逝ってしまったのは、妹でした。

次に父が逝きました。
2人とも癌でした。癌家系なのです。

大阪に居る私の親友も癌で亡くなりました。

3人とも未来ちゃんが、わが家に来てからのことです。

ワンコの前では楽しくハッピーでいたい。けれども、そうできない時期がかなりありました。
このブログを読んでくださっている方々の多くは、シニアのワンちゃんと暮らしていらっしゃると思うので、今までいろいろな悲しみ、困難を経験なさっていることと思います。

単に「いろいろありました」だけでは、曖昧なので具体的なことに少し触れます。
ざっくり淡々と語るつもりですが、うまくいくでしょうか。

妹の闘病時期、私は金曜日になると近所のワン友さんに未来ちゃんの世話をお願いして、高速バスに飛び乗りました。
土日を病院と家で過ごして、日曜日の夜中にまた高速バスに乗って、月曜日早朝に千葉に戻りました。

父のときもそうでした。

親友のときは新幹線で行って、とんぼ返りして午後から仕事に戻っていました。

3人とも最初は癌と闘う姿勢でした。
でも手術も抗がん剤も一時的にしか効果はありませんでした。
行く度に衰え、気力が低下していくのを見るのは辛かった。
私が想像する以上に感性は鋭くなってゆき、私の気持ちをすっかり見通していて、下手な慰めは全く通用しませんでした。

何度も行ったのに、いっぱいお話もしたのに、何もしてあげられなかったという気持ちが今もとても強くあります。

「頑張って」という言葉が大嫌いになりました。
比較的元気なときにお見舞いに来た人は、みんな同じようにこの言葉を言いました。
そばに居る私にも言いました。
こんなに頑張ってるのに?

亡くなった直後も、数え切れないほど私は「頑張って」と言われました。
もちろん善意で言ってくださっていると分かっていますので、「うん、頑張る」と答えていました。

病気であれ、事故であれ、生ある物は死ぬときが来る。
自分ももちろんいつか死んでいく。この当たり前のことを数え切れないくらい考えました。

未来と毎日散歩するとき、よく思います。
空を眺めたり、風を感じたり、季節の花を見たりすること、呼吸をすること、未来ちゃんと一緒に歩くこと。
今、これ以上の幸せは何処にもありません。

ワンコは飼い主がため息ばかりついたり、泣いてばかりいると、自分が悪いことをしたのかと考えてしまうのだと聞いたことがあります。
飼い主が暗い表情をしていると、ワンコの性格まで暗くなってしまうと。

仕事が忙しくて余裕のない時期もかなりありました。

結局この15年を振り返ると、未来ちゃんに寂しい思いをさせたことの多かったこと・・・
写真を撮ると、笑顔でない未来ちゃん。笑顔だった頃もあったのにね。
未来ちゃん、ごめんね。
私のせいだといつも思います。
だから余計に文章ばかりのブログになってしまいます。

未来ちゃんに残された年数は、それほど長くはありません。
小康状態を保っていると言っても、15歳で慢性腎不全のワンコですから「頑張って長生きしよう」ではなくて、お迎えが来るまで穏やかに幸せに一緒に暮らそうと思います。

寂しい思いをさせた日々を取り返すことはできないけれど、「今」を大切にして、少しでも幸せに暮らせるようにしてあげたい。

人間は過去を忘れることができなくて、悲しみもなかなか忘れることができませんね。

「時が解決する」という言葉がありますが、記憶は生々しく蘇ってしまって、悲しみの深さは変わらないような気がします。

ワンちゃんは、人間とは違いますね。
今の未来ちゃんは、食欲が出なかったり、昔のように走れなかったり、昔とは違いますがそれを嘆いて落ち込んでいるわけではありません。
毎日を淡々と生きているように見えます。それが本当に「救い」でもあります。

私もいつかは死んでしまうけど、まだ今は死ねません。
未来とクロベェと、母を見送るまでは。

母は動物が大嫌いでねえ・・・
このマンションにも一度しか来たことがありません。
「泊まっていったら?」と言うと
「気持ち悪い」と言って、わざわざホテルに泊まるんです。
未だに未来ちゃんの名前も覚えてくれず
「犬は生きてるんか?」なーんて言います。
おとなしい未来に向かって「シッシッ」などと言うので怒りを抑えるのに苦労します。
とほほ・・・

今日の記事の目的は、家族のことを詳しく書くことではないのでこの辺で止めます。

妹の命日は、大好きな愛猫の命日でもあります。
「ちゃちゃ丸」という女の子でした。
じっとしていると美人な猫ですが、すごい暴れん坊でした。
わが家で産まれたのですが、この1匹だけとにかく大変な存在でした。
家の中をめちゃくちゃにするのも、キャリーバッグを壊すのもこの子、他の子とケンカして絶対に負けたことがないのもこの子、ケージに入らないのもこの子でした。
誰も貰ってくれずに残ったのもこの子でした。
でも私にとっては、可愛くてカッコいいニャンコでした。

ちゃちゃ丸のお気に入りは、未来ちゃんでした。
よく一緒に寝ていました。

天真爛漫、自由奔放、ボス猫、かっこいいヤツでした。でも猫エイズになってしまったのです。

入院治療をしたあと、少し良くなりましたが、また悪化しました。
亡くなる日の朝、ミャーと鳴いて私の顔を真正面から見ながら、「行かないで」と言ってるような気がしました。
でも仕事をキャンセルすることはできないので、仕方なく出かけました。

夜、玄関のドアを開けて飛び込んだら、ケージの中で倒れていました。
間に合わなかった・・・

カサッと音がして、ちゃちゃ丸が少し動きました。
ふーっと長いため息をついて、少し吐いて旅立っていきました。
待っていてくれたんだ。
苦しかっただろうね。
ちゃちゃ丸を抱いたら、ハンカチくらいの重さしかありませんでした。
妹と同じ日に旅立っていきました。

なかなか淡々と書くのは難しいです。
長文になってしまいました。

明日からは11月。
何かが変わるわけではありませんが、毎日を大切に生きていこうと改めて思います。

今日も読んで下さってありがとうございました。
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★追記★
ちゃちゃ丸の写真を少し載せます。
未来が1歳になる少し前、子猫の世話と未来の世話で、てんてこまいでありました。
7匹生まれた子猫たちの一部です。

Kittens01

朝は、未来と猫たちの世話で忙しかったけれど、楽しかった。

Kittens02

可憐だったけど、1番気の強かった「ちゃちゃ丸」

Chachamaru01

未来にも子守をしてもらいました。

Mirai_cat

大きく成長したボス猫「ちゃちゃ丸」。この写真はすごい格好ですが、可愛い子でした。

Big_chachamaru

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